BlueCosmosの日記

ゲームとか映画とかとか、好きなものの日記

仕事中にボケっと考えていたあれそれ

クロネコヤマトは、Amazonやら楽天やらZOZOやらのセールが重なって、てんてこまいで配送が3日遅れてる場合もあるというツイートを見かけた。
熱帯雨林でヤマトに送り付ける商品を集めてる人間としては「えっ😲そうなの??」と言うのが、正直な感想なんだよな。
僕らの仕事は特別忙しくなった訳では無かったからさ。
しかしセールを行ってた事は事実。
そこで原因を考えてみた訳だ。
ヤマトは24時間営業じゃないんだよ。
そこで合点が行ったね。
我々は夜中もとめどなく荷物を吐き出している。
初心者の私一人で800弱もだ。
そりゃ朝には、とんでもない量の荷物が届く。
当然配送は夜間には出来ないし。
そこで思ったけど、宅配ボックスOKの届け先なら、夜中でも配達すれば、ちょっとは楽になるんじゃねと。
私が思いつくぐらいだから、ヤマトの中の人も考えてるだろうが、件数的にまだまだ割合わないのかな。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝、幅広い世界を描いた美しく素晴らしい世界だった。

映像は言うまでもなく綺麗だった。

こんなに街って生き生きしてただろうか?そう思わせてくれる魅力に満ちていて、昔に幻想や憧れを抱いてしまうものだった。

これもある種のロマンかな。

そしてこの作品最大の魅力は、嫌な奴がいないのだ。

ヴァイオレット達主人公の周囲には、優しい人ばかりで、何故こうなったのかという問題を、忘れてしまうほどだ。

誰しもが自分のできる限り誰かを助け、前向きに進んでいく。

しかしそんな環境はとても狭いものだし、外の世界はそうではない。

だが狭い世界を大きく広げていく地道な努力ができる。

優しい世界の住人が、そうでない所の住人を助けていくのだ。

世界愛ではなく、個人への愛情が愛情をつないでいく。

人に受けた恩を違う誰かに返していく。

そうして世界は明るくなっていく。

そういう話だと思う。

良かったよ本当に!

劇場版も首を長くして待ってます。

ワイルドスピード:スーパーコンボの感想

初めましての方は初めまして。

過去の丸々のようで丸々的な表現が〜的な、大層な事を書いてるブログでは無いので、よろしく。

 

まずこの映画、ワイルドスピードという感じは、ほぼない。

カーアクションではなくアクション映画。

ワイルドスピードをずっと見てる人はわかると思うが、ワイルドスピードはバカが大勢で車でやっちゃいけないレースをする映画だった。

ここ数作はその雰囲気はほぼない。

この映画はワイルドスピードという前提があると、モヤモヤが残って仕方ない。

 

ストーリーについては、話すことは特にない。

理由は、この映画はアクションをやるために、ストーリーをおまけでつけてるような映画だから。

旅行行くために仕事や学校を休むのではなく、休むために旅行をでっち上げたようなストーリーだと、僕は感じた。

 

一応ワイルドスピードなので、カーアクションはあるし、確かに凄いよ。

だがしかし、これだけ!?ってなる程度には少ない。

最後の方はそれなりにカーアクションあるけど、物足りなかったね正直。

多分車乗ってる時間よりむきむきコンビが敵殴ってる時間の方が長い。

 

原点回帰してみない???

それがより強くなった映画だった。

雰囲気は楽しいしオススメ出来るよ。

特に何も考えず、雰囲気で楽しんでこう!

点数は75点ぐらい!

機動戦士ガンダムNT それは、絶対強者としてのNTが垣間見れるガンダム神話

機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)

大好きなこの作品の、僕の感想や考察をただ綴っていく。

私はこの映画を劇場で6回観ました。

ここまでハマった映画は初めてです。

何故ここまでハマったのかは、話としてはとても好きなのに、内容の理解がまるで追いつかなかったためです。

そのため、劇場で見るたびに、新たな発見があり、見慣れていながら新鮮さを味わえ、ハマってしまったというわけです。

原作は知らず、フェネクスについては暴走したちょーかっこいい金色のユニコーンぐらいしか知らなかった。

私はガンダムシリーズが大好きで、ほぼすべてのアニメ作品を視聴している。

UCも公開当初から欠かすことなく、観に行った。

だから、初めて観に行ったときは「新作のガンダムか!楽しみだな!」という、いつもどおりの足取りで向かった。

公式サイトで登場人物や登場メカについては把握し、リタ可愛いな、金ピカガンダムが今の映像技術で見れるなんてたまんねぇなぁなどと、漠然と思っていた。

しかしガンダムニュータイプの少女といえば、プルがよぎるのだ。

繋がりのある前作のUCでは、プルシリーズの一人であるマリーダさんが登場し、悲惨な人生を辿っていたという事もあり、嫌な予感しかしないわけだ。

案の定、酷い人生を辿るのだが・・・

 

酷い人生の原因は、彼女が自らの能力によって見えてしまった最悪の未来を、出来る限り少なくしたいという行動で、人を救ったことによる。

何人もの人間が彼女によって救われただろう。

その善行の重さの前には、少々の悪行ぐらいでは、善悪の天秤は傾かないとも言える功績だろう。

最も大切にされるべき人間が、何故こうまでひどい目に合わねばならない!?

それは時代が悪い。

この一言で済まされてしまうであろう背景が、あまりにむなしすぎる。

しかし、これがガンダムなのだ。

ただ幸福な人間は、基本的に居ない。

皆どこかで人生の歩みが狂い、狂わされ、その中で必死に頑張り続ける個人。

だからこそ激しい感情から生み出される数々の名言は、人の心をつかむのだろう。

私はこのナラティブの登場人物の中でも、ゾルタンとリタに、とても惹かれた。

彼彼女はとても対照的なのだ。

 

ゾルタンは、自らの人生を良いとは言えない環境に置いたうえに、散々ゴミ扱いしてきた周囲を激しく憎み、その憎悪は死ぬまで一辺たりと揺らぐことはない。

他者に酷くされてきたから、人には優しくしよう、そういう人間の模範解答のような人間とは、全くかけ離れている。

自分がやりたい事のためには、無辜の市民など顧みず戦闘に巻き込むし、コロニーを破壊することだって厭わない。

最も人間らしい、そんなキャラである。

人間というのは、勝利のためであれば、どんな悪行だって出来る。

それが悪いとわかっていようが、勝たねば自分がやられるのだ。

勝負に体面など無い、ただ勝つために全力を尽くす。

この姿勢が、私は大好きだ。

 

もう一方のリタはと言うと、人間の善性の模範解答のような人物である。

ただ良い人間という訳ではないのだが、善に分類されることは間違いないであろう。

そして彼女を語る上で外せない事は、全て未来が見えていた、という事だ。

ニュータイプ研究所で体を弄られること。

そこで幼馴染に裏切られること。

フェネクスに乗るという事。

巨悪であるゾルタンと戦う事、これが最終目標。

更にその先まで見えてるとしたら、何が見えてるのだろうか・・・

それは今後語られるであろう。

ただ良い人間であると言えないと述べたのは、幼馴染を巨悪討伐に巻き込むために自身は主張を控え、自分を殺していたという点があるからだ。

しかし全て見えていたからと言って、研究所での扱いが酷いことに変わりはなく、誰だって怒られると知っていても、怒られたくはないであろう。

そういった恨みが、フェネクスを暴走させるのだ。

ユニコーンタイプはフルサイコフレームであり、それは人の思いに応える機械。

恨みが怒りに変わり、その場に居た多くを虐殺してしまったのだ彼女は。

どうしてそこから霊体のようなものになってしまったかは、劇中で語られることはなかった。

劇中に於いて、大人に成長したリタは、フェネクスに乗る際の後ろ姿しか映っていないため、あの時顔が見えていれば、とてもやさぐれた表情をしていたのかもしれない。

そう、ゾルタンのように。

劇中で語られたわけではないのだが、ナラティブについて解説した本の中に、ニュータイプが見れる人の幻もとい霊のようなものは、あくまで本人の記憶から再生されてるに過ぎない。

だから見えた人が知ってる姿でしか現れないという。

あえてリタの顔を見せなかったのは、主人公と同じ気持ちを観客に味わってもらうためではないかと、思っている。

大きく脱線してしまったが、リタは暴走事故の時の虐殺を気に病んでおり、その贖罪の為か、不殺を貫いている。

攻撃というか自己防衛に使う武器は、シールドを自在に操るシールドピット的なもの

時間逆行ビームと言うかウェーブしか無い

コロニー内にフェネクスもといリタを誘い出す作戦が劇中で行われますが、そんな中でも市民に視線を向け、やはり反撃できないと思いとどまる姿は、とても印象的でした。

フェネクスには固定装備でビームトンファーやビームバルカンも装備されてるが、それらも一切使わない?使えない?ので、彼女が操ってる時のフェネクスは、速さが最大の武器であり、非力である。

非力と言っても、亜光速にさえ一瞬で達する機体速度は、あらゆるガンダムの中でも最速であり、間違いなく強い。

 

ここまで好きな人物についてただ語ってきたが、ここからは考察に移りたい。

・ビームトンファーとバルカンを使わない事についての考察

使えない場合

ヨナが搭乗した際には問題なく使えていたので、故障はない。

バルカンやトンファーはボタンなど物理的な操作がなければ起動しないという可能性。

それなら、霊体で憑依してるリタが使えないのは納得できる。

武器らしい武器を自分では使わないという誓いを立てているという可能性。

 

・何故デストロイモードになれないのか

憑依していながら機体を動かしている時点で、感応波によるコントロールは絶対だろう。

リタが意図的にデストロイモードを封じている可能性。

しかしデストロイモードに移行した場合、怒りで暴走する事を恐れているのかもしれない。

自身ではデストロイモードを使わないと決めており、ヨナを載せるまで取っていたという可能性。

 

ネオジオングにコントロールを奪われた女性ジェガンパイロットが何故自爆できたのか?

完全に制御が奪われていなかったという可能性

自爆したように見えただけで、ゾルタンが自爆させた可能性

パイロットの散り際の強烈な思念が、ネオジオングサイコフレームに干渉したという可能性

 

・どうやってリタは霊体になったのか?

フェネクスの誇る亜光速という速度に人間は耐えられるはずもなく、自殺しようと、その場から、過去から逃げようと、ただ速度を上げていった所、死ぬ寸前に使命を思い出し、霊体となった可能性。

フェネクスは暴走時点で既にスラスターを使わず推進しており、バナージの最終決戦時に匹敵するニュータイプ能力を持っている辺り、真のニュータイプにとても近い存在であることに違いはなく、宇宙という無限の空に羽ばたく気持ちよさを手に入れるため、進んで霊体となった可能性。

 

そして最後

フェネクスは最後飛び去っていく、遥か遠くの宇宙へ。

しかしその時のフェネクスは、デストロイモードのままであり、これまでリタが操っていた時とは、明らかに様子が違うのだ。

それに対し、私は2つの仮説を持っている。

リタは今までデストロイモードを封じており、ヨナと出会い、使命も果たし、吹っ切れて最高に綺麗な姿であるデストロイモードのまま飛び去ったという可能性。

もう一つは、フェネクスという触媒を通してではあるが、彼女は時間逆行ウェーブを連射できるほどに強力なニュータイプであり、ニュータイプというものは時間だって操れるという事を、強烈に示している。

つまりは時間を戻して肉体を取り戻したのではないかという可能性

もしそうであるなら、続編で生きたリタを見れるのかもしれないと、少し期待はしている。

 

長く語ってしまったが、これほど語れるほどに、私にとってはとても良い作品であった。

正直オカルト路線に寄り過ぎていて、リアルロボットどこ行ったの?って人もいるとは思う。

しかしガンダムとは、超常現象で最後は〆てきた作品であり、超常現象を大きく扱い、ニュータイプの解釈の一つを提示した作品であり、僕はとても良かったと思っている。

劇中、キャラの作画が明らかに低品質な場面もあったが、全体的に美しく描かれており、とてもおすすめできる作品です。

ガンダム神話の到達点と銘打たれてましたが、コロニーで窮地のヨナの前に助けに参上するフェネクスは、女神や天使そのものであり、あの瞬間こそが最も神話らしかったと思います。

僕は00ガンダムの、刹那の前にリボンズが0ガンダムで現れ、敵を殲滅していくあのシーンを思い出しましたね。

あれ以来の神のようなガンダムが見れます。

神のような力を持つガンダムではなく、神のようなガンダムが、です。

 

フェネクスは終始とても美しく、青く優しい眼光も魅力的です。

リタは女性ですが、男性であれば、バナージがフェネクスに憑依していても、違和感がないような雰囲気を持っています。

最終局面に登場する、バナージが搭乗するシルヴァ・バレト・サプレッサー、こいつの腕の機構は格好良いながら、中々に間抜けで笑えもします。

 

5月24日にBDが登場しますし、劇場で見れなかった方も、この機会に是非見てください。

超オススメです。

gundam-nt.net

YouTubeにアップされている冒頭20分動画 ※公式です

www.youtube.com

映画「バンブルビー」について

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簡潔に、この映画を述べると。

突然できた人生最高の親友との短いながらも最高のひと時。

自分はこう感じた。

 

気になる点も多々あるが、物語のテーマ、その空気を楽しむ分には、気にならない程度の問題点だ。

優しく冗談好きで、背中も押してくれる、そして友人の為に怒る事ができる、理想の友人とも思える彼が見れる。

主人公が同級生に嘲笑された時のリベンジや、主人公が酷い扱いを受け、我を忘れて復讐する様は、良き友人である彼を象徴するシーンであろう。

 

好奇心旺盛な大柄なロボットと普通の家で同居するとこうなるよね、という場面があるのだが、不思議の国のアリスのロボット版と言った具合で、とても笑えるシーンだ

 

バンブルビーは当然人に比べれば遥かに大柄であり、地球で暮らすのは兎に角大変なのだ

本人は隠れた気でも、全く隠れられていなかったり

人によって見える世界は違うんだ

ただ腹をたてる事なく、その人の視点でも考えようと言ったメッセージなのかもと、僕は思った。

 

総評としては、心のやり取りが主な友情物語であり、戦闘などは二の次かなと。

メカの描写も素晴らしいのだが、昔のトランスフォーマーのような格好よさは、あまり感じなかった。

オススメできる映画です。

 

気になる点についてだが、これを知ると楽しめないかもしれないので、少し下に書くとする。

 

 

 

 

まず、彼らトランスフォーマーはエイリアンである。

当然地球とは違う文明の下で生きている。

この映画は彼らの星での戦争から始まる。

このシーンはツッコミどころが多いのである。

バンブルビーは現代風のスポーツカーに変形するし、オプティマスは地球に来る前からコンボイトラックを思わせるボディなのである。

時系列はどうなってるの?となるのだ

 

次はバンブルビーが地球に到着してからの戦闘について

幸か不幸か彼が到達してしまった場所は軍事演習場

人間は当然彼らの襲来を想定しているわけではない、にも関わらず

捕獲に適したハープーンガンをハンヴィーに装備しているのだ。

背景設定は、この通りかなり雑であり、映画の進行上あった方が良いと思えるものは、躊躇いなく投入されたのであろうか。